第七章:家族の崩壊(上)
目次
序文
1.神が与えた伝統的な家族
2.家族崩壊を目論む共産主義の目的
3.性の解放を促進する共産主義
4.共産主義は妻の共有化
a. ソビエト政権下における妻の共有化
b. 延安での性の解放
5. 共産主義がいかにして欧米の家族を崩壊させたか
a. 性の解放の促進
b. フェミニズム(女権拡張運動)の促進と伝統的な家族の否定
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序文
1960年代、欧米ではフェミニズム(女権拡張運動)、性の解放、同性愛者の権利など、さまざまな反伝統運動が盛り上がった。その中でも特に攻撃の対象になったのは、伝統的な家族である。1969年、アメリカでは家族法改革法が実施され、離婚がさらに簡単になった。他の国々もアメリカに追随し、同様の法律を実施した。
1960年代から80年代にかけて、アメリカの離婚率は2倍以上に増加した。1950年代、およそ11%の子どもの両親が離婚したが、70年代になってその比率は50%になった。【1】アメリカ疾病予防管理センター(CDC)によれば、2016年の新生児のうち、60%は未婚の親のもとに生まれている。【2】
古来、西方でも東方でも、男女が貞操を守ることは美徳とされていた。今日、貞操と言えば古臭いと一蹴され、嘲笑されてしまう。一方、同性結婚論者やフェミニスト(男女同権論者)たちは、家族と結婚の法的見直しを要求している。アメリカ連邦政府雇用機会均等委員会メンバーの法律学教授は2006年、「同性愛を超えて:すべての家族と関係のための新しい戦略的展望」(Beyond Same-Sex Marriage: A New Strategic Vision for All Our Families and Relationships)というスローガンを掲げた。これは、個人が自由に家族構成を選択する権利(一夫多妻、共同同性愛家族などを含む)を主張するものである。同教授はさらに、伝統的な結婚や家族が、そうでない家族より法的な恩恵が多いことを批判している。【3】
数千年の間、伝統的な社会において、婚前交渉や同性愛は破廉恥な行為とみなされていた。しかし、現代の公立学校では、まるでそれらが普通の事のように教えられ、あるいは明確に奨励されている。この観点から見れば、子どもたちの性的指向は自由に発達、選択することができ、その中には同性愛、両性愛(バイセクシャル)、性同一性障害(トランスジェンダー)も含まれることになる。
ロード・アイランド・スクール(Rhode Island School District)では2012年、公立学校で開催されていた両親と娘、あるいは母娘のダンス・パーティを禁じると発表した。理由は、子どもたちに女子はダンスを、男子は野球を好むという固定観念を植えつけないためだという。【4】
伝統的な家族の崩壊は、着々と進んでいる。共産主義が提唱している家族の根絶は、彼らが目標とする階級の根絶より先に実現するだろう。
欧米社会において、家族の崩壊はさまざまな局面に現れている。それはフェミニズム(女権拡張運動)、性の解放、同性愛運動だけでなく、広範囲にわたる社会の左傾化、たとえば進歩主義などである。これらは全て「自由」「公平」「権利」「解放」をスローガンに掲げる。これらの概念は陰に陽に法律によって保護されており、同じイデオロギーを持つ者たちによって、経済政策が推し進められている。これらすべては人々の意識を変換させ、伝統的な結婚や家族を放棄させる。
19世紀初頭に生まれたこれらのイデオロギーには、共産主義の要素が充満している。共産主義の邪霊は詐欺の天才であり、継続的に変異しながら嘘をつく。人々は混乱し、政策やイデオロギーの本質を理解することができなくなった。その結果、人々が世界を理解しようとすると、すべて共産主義の基準で測ってしまう。今日、多くの人が、伝統的な家族の崩壊という潮流の本質を分かっていない。この潮流はすべて、これまで200年をかけて、共産邪霊が周到に計画し、着々と実行してきた結果なのである。
安定した社会を支えていた家族が破壊されている。家族がなくなれば、次世代に引き継ぐべき伝統的な文化と信仰が途絶える。伝統文化と信仰を失った若い世代はその結果、共産邪霊に簡単に操られる道具となるのだ。
1.神が与えた伝統的な家族
東方でも西方でも、結婚は神によって結ばれる神聖な儀式と信じられていた。一度結婚すれば、その絆を壊すことはできない。神は男性も女性も、どちらも同じように神に似せて造り、男女は神の前で平等である。同時に、神は男女に異なる身体的特徴を与え、それぞれに異なる役割を与えた。また、聖書には、女性は男性の骨の骨、肉の肉と書かれている。【5】また、夫は妻を自分の身体のように愛し、時には自分を犠牲にしても妻を守るようにと示されている。
一方、神は妻に夫を敬い、夫を助けて調和するようにと示した。夫は懸命に働いて家族を支え、女性は出産の苦しみに耐えねばならない。これはすべて、人間が背負っている罪から生じている。
同様に、東方では男性は陽、女性は陰という伝統的な考え方があった。男性は太陽や空に通じ、継続的な努力と前進の中で責任を背負い、苦労して家族を養う。陰に属する女性は地球に通じ、大いなる徳で万物を産み育てる。女性は柔軟で他人を気遣い、夫を助けて子どもを育てる。男女がそれぞれの役割を果たした時、初めて陰陽が調和し、子どもたちは健全に育つのだ。
伝統的な家族には信仰や道徳を継承する重要な役目があり、安定した社会を維持するのに欠かせない。家族は信仰の受け皿であり、価値観を伝えていく絆である。両親は子どもの最初の先生である。もし子どもが両親から伝統的な価値観、例えば思いやり、謙遜、感謝、忍耐などの美徳を学ぶことができれば、子どもの人生にとって多いにプラスになるだろう。
また、伝統的な結婚生活は、男女に道徳的な成長を促す。夫婦は自分の感情や欲望を抑え、相手への寛容や思いやりを学ぶ。これが、結婚が単なる「共同生活」と根本から異なる点である。人間の感情は気まぐれである。もしカップルが簡単にくっついたり別れたりすれば、何の制約もない単なる友人と変わりない。マルクスは最終的に、「制限のない性交」【6】の拡散を求めていた。つまり、伝統的な結婚と家族の根絶である。
2.家族崩壊を目論む共産主義の目的
共産主義者は、家族を私有財産の形態であると考える。私有財産を根絶するためには、家族も根絶しなければならない。原理的な共産主義は、経済が家族形態を決定すると考えた。一方、現代のマルクス・フロイト主義は、性的欲望が家族形態を決定すると主張する。この二つに共通するのは、基本的な人間の道徳の排除、唯物主義、欲望と現実的利益の追求である。これらすべては、人間を獣に変える。これは歪んだイデオロギーであり、人間の考えを堕落させ、家族を崩壊させる。
共産主義が描く壮大な妄想は、人類の解放である。これは経済的な解放のみならず、人類自身の解放も指す。解放の反対はもちろん抑圧である。それでは、抑圧とは一体どこから来るのか?共産主義の答えは、人々の考えである。それは伝統社会の道徳が押しつけたものである。父系社会は女性を抑圧し、貞淑は人間の本質を抑圧する、などである。
近年のフェミニズム(女権拡張運動)と同性愛運動は、共産主義に染まったこのイデオロギーを継承し、拡大した。彼らは伝統的な結婚と家族に対して、性の解放、同性愛の権利というスローガンで反撃してくる。しかし、これらはすべて、邪悪が家族を崩壊させるための道具に過ぎない。共産主義者は伝統的な道徳や価値観を転覆すると『共産党宣言』に明記されていることを忘れてはならない。
3.性の解放を促進する共産主義
共産邪霊は伝統的な家族に反対し、それを破壊することを目論でいる。最初に邪悪なイデオロギーの種をまいたのは、19世紀初頭の空想社会主義者ロバート・オウエン(Robert Owen)である。彼は共産主義の先駆者として、1824年、アメリカ・インディアナ州にニューハーモニーという農業共同体を建設した(その後2年で崩壊)。共同体が建設された日、彼は次のように宣言している。
「私は、皆さんと世界の前で、宣言する。地球上において、たった今まで、人間は精神的にも肉体的にも、悪の三位一体に抑圧されてきた。つまり、私有財産、矛盾と不合理な宗教、それらと結合した不合理な結婚制度である」【7】
オウエンの死後、現れたのが空想社会主義者のフランス人、シャルル・フーリエ(Charles Fourier)である。彼はマルクスとその信奉者たちに多大な影響を与えた。彼の死後、信奉者たちは1848年に革命を起こし、その影響はパリ・コミューン(パリ市の革命自冶体)からアメリカへと広がった。「フェミニスト(男女同権論者)」という言葉は、フーリエの造語である。
フーリエの理想とする共産主義コミュニティー(共同体)は、伝統的な家族を軽蔑し、酒飲みのどんちゃん騒ぎと乱交パーティーによって、人間の内なる情熱を解放する場所である。フーリエはさらに、公平な社会においては、性的に拒否された人(年配者や魅力がない人など)も性的満足を得る権利があると主張した。彼は、どのような性行為も、例えば近親者との性的関係や人と動物との性的行為なども、双方の合意があるならば許されるべきだと主張した。フーリエは現代の同性愛運動(LGBTを含む)の一つであるクィア理論(ゲイ理論)の先駆者としても知られている。
19世紀、オウエンの他にも、フーリエの影響を受けた共産主義者たちがアメリカに続々と共同体を建設した。しかし、多くは短期間で崩壊した。32年間続いたオナイダ共同体(フーリエの理論を実践した)が最長だった。この共同体は伝統的な一夫一婦制を廃し、複婚とグループ・セックスを推奨した。メンバーは毎週「公平に」性交の相手を選ぶ権利が与えられた。結局、オナイダ共同体の創始者であるジョン・ハンフリー・ノイズ(John Humphrey Noyes)は教会からの告訴を恐れ、共同体を抜け出して亡命した。後に、オナイダ共同体は複合婚を放棄し、ノイズは『聖書の共産主義』(Bible Communism) を出版している。
共産主義のふしだらな遺伝子は、その理論からして必然の結果である。最初から、共産主義の邪霊は人間に神の教えを放棄させ、神を否定させ、原罪を否定するよう教えてきたからである。
あらゆる社会問題の根源は、道徳の退廃である。しかし、共産主義の理論は、私有財産が悪の根源であり、私有財産がなくなれば、人は戦わなくなると主張する。すべての財産を皆で共有しても、今度は配偶者をめぐって争うことになる。従って、空想社会主義者たちは公に配偶者の共有を要求し、人間本来の欲求を満たすことを主張するのだ。
これら共産主義の「楽園」は、伝統的な家族に真っ向から反対する。そのため、地域社会や教会、政府は、伝統文化の脅威になるその楽園を抑圧しようとした。その後、共産主義者が蓄財した財産と複合婚の醜聞は、広く知られることになった。
理想的な楽園の失敗は、マルクスとエンゲルスに新たな課題を与えた。当時は、性の解放と複合婚を公に主張するには時期尚早だった。『共産党宣言』で主張した家族の根絶という目標に向かって、彼らは「隠蔽しながら」進む道を選んだのである。
マルクスの死後、エンゲルスは『家族・私有財産・国家の起源』(The Origin of the Family, Private Property, and the State, in the Light of the Researches of Lewis H. Morgan)を出版し、マルクスの家族論を完成させた。「(一夫一婦制の発生は)、男性優位を基本とし、明白な父系による子孫を量産するためである。子どもたちは後に血縁相続人として父親の財産を相続することから、この父系が必要とされた。この結婚は、夫婦どちらの要望があっても決して壊すことができない強力な婚姻であるという点から、通常の結婚とは異なっている」【8】
エンゲルスは、一夫一婦制は私有財産制の下で生まれた結婚形態であり、すべての財産が共有されれば、全く新しい、純粋な愛にもとづく結婚が可能であると主張した。表面的には非常に高貴に見えるが、実際には全くありえない話である。
マルクスとエンゲルスの理論は、現実的ではない。人間の感情は、全くあてにならないものである。もし人が今日、ある人を好きになり、明日、また別の人を好きになったら、それは不特定多数との性交渉を意味するのではないだろうか?ソビエトや中国共産党が政権を樹立してから蔓延した性の乱れは、マルクス理論を実践したからではないだろうか?
夫婦関係は、常に順風満帆という訳にはいかない。伝統的な結婚で宣誓する「死が二人を別つまで」は、神への誓いの言葉である。それは、どんな困難に直面しても、二人で乗り越えるという意志表示である。結婚を維持するのは、単なる感情や気持ちではなく、責任である。夫婦はお互いを、そして子どもたちと家族を思いやる中で、道徳的な責任を学び、人間的に成長するのだ。
マルクスとエンゲルスは『家族・私有財産・国家の起源』の中で、共産主義社会では、私有財産は公のものになり、家事労働はプロに任せられると豪語した。子どもたちの教育は国が面倒を見るため、女性は子育てから解放されると主張した。
彼は本の中で、「これによって、女性は社会的、道徳的あるいは経済的な結果を恐れる必要がなくなった。彼女は躊躇(ちゅうちょ)することなく、完全に自分自身を、愛する男性に捧げることができるのだから。自由な性交渉の緩やかな増加と、処女と貞操に対するより寛容な世論が伴えば、十分ではないだろうか?」【9】
マルクスとエンゲルスが提唱したものは、もちろん「自由」「解放」「愛」といった言葉で覆い隠しているが、本質的には個人の道義的責任の放棄である。彼らが主張しているのは、個人の欲望のみに基づく行為である。しかし、マルクスやフーリエの時代、多くの人は神の教えを放棄せず、性の解放に対して警戒していた。しかし、20世紀になって加速した驚異的な性の乱れは、家族崩壊を目指していたマルクスさえ想像しなかったであろう。
赤い悪魔(共産邪霊)は、一部の人間を操り、猥褻(わいせつ)な、性的異常の種を蒔いた。また邪霊は系統的に、人間の欲望をそそる要素を社会に按配し、人々が神に背くよう誘導した。人間が堕落すれば、家族も根絶できる。人間の心が逸脱すれば、簡単に悪魔の手に落ちるのだ。
4.共産主義は妻の共有化
上記で述べた性の乱れは、共産主義の本質の一部である。マルクスは彼の家政婦をレイプし、産ませた子どもはエンゲルスが育てたという。また、エンゲルスは姉妹と同居していた。レーニンはイネッサ(Inesa)という女性と10年以上におよぶ不倫関係にあり、フランス女性とも肉体関係があった。また、レーニンは売春婦から梅毒に感染したことも知られている。スターリンも同様に好色で、他人の妻を寝取ることもあった。
ソビエトが政権を握ると、政府は妻の共有化を実施した。当時、欧米から見れば、ソビエトは性の解放の最先端だった。1990年に出版されたロシアの雑誌「ロドニア」(Rodina)は、ソビエト政権初期に行われていた妻の共有化について報じている。それによると、ソビエトの指導者トロツキー(Trotsky)、ブハーリン(Bukharin)、アントーノフ(Antonov)、コロンタイ(Kollontai)の性生活は、まるで犬のように自由だったという。
a. ソビエト政権下における妻の共有化
レーニンは1904年に、次のように書き残している。「性的欲望は精神のエネルギーを解放する。それは疑似家族の価値のためではなく、社会主義の勝利のためであり、この血栓を廃止しなければならない」【10】
トロツキーはロシア社会民主労働党(Russian Social Democratic Labor Party)の会議で、ボルシェビキが政権を樹立したら、新しい性的関係の基本理念が起草されるだろうと述べた。共産主義の理論は、家族の崩壊と制限のない性的欲求の満足を追求する。トロツキーはさらに、子どもたちの教育の責任は、もっぱら国家にあると断言した。
1911年、トロツキーはレーニンに宛てた手紙で、「間違いなく、性の抑制は人間を奴隷化する主な方法である。そのような抑圧がある限り、真の自由など語れない。ブルジョアジー(資本家階級)のような家族は、すでに長く存在しすぎた。労働者たちに、これについてもっと説明する必要がある…」
レーニンは返信した。「家族だけではない。性に関するすべての禁止事項を廃止すべきだ。われわれは、サフラジェット(女性参政権をもとめて勇敢に闘った人々)から学ぶべきだろう。同性愛の禁止も取りやめるべきだ」【11】
ボルシェビキが政権を掌握すると、レーニンは着々と結婚に関する禁止法令や同性愛に対する罰則を廃止した。【12】
当時、「恥を捨てよ!」という言葉があった。これは、ボルシェビキが社会主義的な「新しい人間」を量産するためのスローガンだった。時に人々は、裸で狂乱的にスローガンを叫び、「恥はソビエトの遺物だ」と呼びかけた。【13】
1918年12月19日、結婚廃止が実施された記念日に、レズビアン(女性の同性愛)のグループが祝福のパレードを行った。トロツキーの日記によれば、レーニンはこのレズビアンの行進を非常に喜んだという。レーニンは、さらに多くの人々に裸で行進することを奨励した。【14】
1923年、ソビエトの小説『三世代の愛』(The Loves of Three Generations)が、「一杯の水」(性交渉は一杯の水を得ることと同じくらい単純でなければならない)という言葉をはやらせた。著者の社会福祉人民委員のアレクサンドラ・コロンタイ(Alexandra Kollontai)は革命家で、女性の解放を求めてボルシェビキ党に入党した。彼女が小説で提唱した「一杯の水」とは、放縦な男女の性交渉のことである。この「一杯の水」は、工場労働者や思春期の青年たちの間で広がった。
「最近の若者の道徳は、次のように要約できる」と共産主義者スミドヴィチ(Smidovich)はプラダ紙に書いている(1925年3月21日):
「すべてのメンバー、未成年者も含めて、共産主義青年団やRabfak(共産党訓練学校)の生徒たちは、自分の性的欲求を満たす権利がある。これが自明の理となり、禁欲はブルジョワジー(資本家階級)的な概念であると見なされた。もし男性が若い女性に激情したなら、彼女が生徒であろうと、労働者であろうと、あるいは幼い年齢であっても、彼女は彼の性欲に従わなければならない。そうでなければ、ブルジョワジー(資本家階級)の娘、真の共産主義者にふさわしくないと見なされるだろう…」【15】
離婚も正常なこととして広まった。「離婚率は、人類史上類をみない勢いで増加した。まるで、モスクワのすべての人間が離婚したかのようだった」と、ポール・ケンガー(Paul Kengor)は、著書『分解:共産主義から進歩主義まで、いかに左翼が家族と結婚を破壊したか』(Takedown: From Communists to Progressives, How the Left Has Sabotaged Family and Marriage)の中で書いている。1926年、著名なアメリカの雑誌「The Atlantic」は「結婚廃止に努力するロシア人」と題したソビエトにおける驚くべきエピソードを伝えている。
スウェーデン家族―これは、スウェーデンとは何の関係もないのだが、不特定多数の男女が同居して、自由に性交渉を楽しむという形態である。性の解放が現れたこの時期、ソビエトにもこのような現象があった。これがきっかけとなり、より多くの淫乱、乱交、同性愛、道徳の崩壊、家族の解体、性病の蔓延、レイプなどが増加した。【17】
社会主義コミューン(共同体)が拡大すると、スウェーデン家族もソビエト中に広まった。これは、女性の「国有化」あるいは「社会化」と呼ばれた。エカテリンブルクに居住する社会主義信奉者の女性の不幸な一例である。同都市を占拠したボルシェビキは、16~25歳の若い女性は「社会化」する義務があると布告した。数人の党幹部が命令を実行し、10人の若い女性が「社会化」された。【18】
1920年後半、ボルシェビキはその方針を転換し、男女の性交渉に対して厳しい政策をとった。レーニンは、フェミニスト(男女同権論者)活動家のクララ・ツェトキン(Clara Zetkin)との対話の中で、「一杯の水」哲学を「反マルクス」「反社会主義」と批判している。【19】その理由は、性の解放には大きな代償が、つまり多くの子どもが生まれてしまうからというものだった。多くの赤ん坊が捨てられた。再度ここで明確になったことは、つまり家族の崩壊は最終的に、社会の崩壊をもたらすということだ。
b. 延安での性の解放
中国共産党政権が樹立した当時、国の状況はソビエトとあまり変わらなかった。もちろん、それぞれの共産党は同じ木から育っても、異なる毒性の実を結ぶものである。著名な革命家の陳独秀(ちん・どくしゅう)は放蕩な人生を送った。鄭超麟(ていちょうりん)、陳碧蘭(ちんへきらん)、瞿秋白(くしゅうはく)、蔡和森(さいわしん)、張太雷(ちょうたいらい)、向警予(こうけいよ)、彭述之(ほうじゅつし)など、中国共産党初期の指導者たちの回想録によれば、彼らの性に対する態度は「一杯の水」と似通ったところがある。
「性の解放」は党の指導層だけでなく、湖北省、河南省、安徽省にあった「ソビエト地域」(国民党が転覆するまで存在した革命の拠点)でも蔓延した。女性の権利、結婚と離婚の自由などの思想が後押しし、性的欲望のために、革命の仕事が後回しになることもあった。
若者たちは、大衆と結束するとの名目で、自由恋愛にのめり込んだ。当時、若い女性が6、7人の性の相手を持つことも普通だった。『湖北省、河南省、安徽省のソビエト地区における革命的歴史文書』(Collection of Revolutionary Historical Documents in the Hubei-Henan-Anhui Soviet Districts)によれば、どこでも「およそ4分の3の党幹部が十数人、あるいは百人以上の女性と関係を持っていた」【20】という。
1931年の春、同地区の担当だった張国トウは、梅毒がひどく蔓延したため、党中央に専門の医師を派遣するよう依頼しなければならなかった。彼はまた、ソビエト地区で党幹部の愛人を含む女性たちが性的虐待を受けていたと、後の回想録に書いている。【21】
1937年、中国共産党南京支部八路軍の李克農(りこくのう)は、軍に支給する給費、医薬品、物資を収集していた。彼はある日、八路軍に支給する医薬品に、性病の薬が大量にあることを発見した。他の兵士に理由を問われた李克農は返事に窮し、とっさに地元の人々に使用すると嘘をつくしかなかった。【22】
しかし、1930年代末には、性の解放が政権の脅威になると考えられるようになった。ソビエトでの社会の崩壊はすでに明らかであったし、紅衛兵たちも、妻が不倫や離婚することを恐れるようになったのである。これが兵士たちの士気を下げることになったため、その後ソビエト地区は兵士同士の結婚を保護し、離婚を制限するようになった。
5.共産主義がいかにして欧米の家族を崩壊させたか
邪霊のイデオロギーの潮流の源は、19世紀にさかのぼる。一世紀にわたって進化と変貌を遂げたあと、1960年代にアメリカに伝わった。
1960年代、新マルクス主義やその他の過激なイデオロギーの影響のもと、邪霊に操られた社会的・文化的な運動が盛んになった。ヒッピーの反文化主義、過激な新左翼、フェミニスト(男女同権論者)運動、性の解放などである。これらの社会の動乱が、アメリカの政治制度や伝統的価値観、社会構造を激しく揺さぶったのである。
これらの運動はすぐにヨーロッパへ飛び火し、社会、家族、性、文化的価値観に対する思想を変容させた。この中で、同性愛の権利も台頭してきた。これらの複雑な思潮が西洋の家族観に打撃を与え、社会生活の中心だった伝統的な家族の崩壊を促した。同時に、社会の混乱はポルノ、薬物、性の乱れ、若年層による犯罪、社会保障受給者の増加を促進した。
a. 性の解放の促進
1960年代、アメリカで性の解放(性革命とも言われる)が始まった。その影響はすばやく全世界に波及し、伝統的な道徳、特に伝統的な家族と性の倫理に、徹底的な打撃を与えた。
邪霊は、欧米社会で性の解放を利用するため、入念な準備を行った。フリー・ラブ(自由恋愛)運動が、伝統的な家族を崩壊させる道を開いた。彼らは「フリー・ラブ」のためには、どのような性的行為も社会規制から解放されるべきだと主張した。この観点からすれば、結婚、人工中絶、不倫を含むすべての個人の性行為は、政府や法律の規制を受けず、社会的制裁を受けてはならないということになる。
シャルル・フーリエ(Charles Fourier)やキリスト教社会主義者のジョン・ハンフリー・ノイズ(John Humphrey Noyes)の信奉者たちが、このフリー・ラブという言葉を提唱した。
近年、このフリー・ラブを促進する人たちはすべて、社会主義者あるいは社会主義の思想に染まった人たちである。例えば、イギリスにおけるフリー・ラブの先駆者といえば、詩人のエドワード・カーペンター(Edward Carpenter)である。彼はまた、同性愛の権利を主張する初期の活動家でもあった。
同性愛権利運動で最も有名なのは、哲学者のバートランド・ラッセル(Bertrand Russell)である。彼は自他共に認める社会主義者であり、またファビアン(労働党)協会のメンバーでもあった。彼は、道徳が人間の快楽欲求を制限すべきではないとし、婚前交渉や婚外交渉を許容するべきだと主張した。
フランスにおけるフリー・ラブ運動の中心的人物は、著作家のエミール・アルマン(Émile Armand)である。彼は無政府共産主義者であり、後にフーリエの提唱する空想的共同体を建設した。同時に、彼は性の解放、同性愛、バイセクシャル(両性愛)を主張した。オーストラリアにおけるフリー・ラブ運動の先駆者はチャミー・フレミング(Chummy Fleming)で、無政府主義者だった。
アメリカにおけるフリー・ラブ運動は、重大な果実を生んだ。1953年に創刊された「プレイ・ボーイ」という猥褻(わいせつ)な雑誌である。高級なカラーページで綴じられたこの雑誌は、芸術的で高尚な印象を与えた。「プレイ・ボーイ」は、それまで卑俗とみられていたポルノを主流文化に押し上げ、ついには「上流層の」娯楽雑誌となったのである。半世紀以上、その雑誌は性の解放という毒物を世界中の人々に蒔き散らし、性に対する伝統的な価値観や道徳感を打ちこわしてきた。
20世紀中ごろ、ヒッピー文化の最盛とフリー・ラブの推進により、性革命が台頭した。性革命と名付けたのは、ドイツの共産主義者で精神科医のヴィルヘルム・ライヒ(Wilhelm Reich)である。彼はマルクスとフロイトの理論を融合させ、前者は人々を「経済的抑圧」から解放し、後者は「性的抑圧」から人々を解放したと主張した。
もう一人の性の解放の先駆者は、フランクフルト学派のヘルベルト・マルクーゼ(Herbert Marcuse)である。彼が造ったスローガン「戦争をしないで恋をしよう」は、1960年代にアメリカで流行し、性の解放という概念を人々の心に植えつけた。
その後、学者のアルフレッド・キンゼイ(Alfred Kinsey)が『人間男性と人間女性の性行動』を出版し、また経口避妊薬が登場した。そのあおりを受け、欧米では性の解放が飛躍的に広まった。近年、キンゼイの研究には多くの誇張、単純化、虚偽があり、自身の政治的イデオロギーが論文に反映されていると指摘する学者もいる。キンゼイは、婚外性交、同性愛などは普遍的に存在すると主張し、社会がそれを受容するよう促した。彼の目標は、ほぼ達成したと言えるだろう。【22】
この時から、性の解放は突然、「おしゃれな」流行になった。若者の間で、性の乱れは普通の事になった。処女であると言えば、周りから嘲笑される。1954から63年にかけて、15歳の女性(60年代の世代)のうち、30歳になるまでに婚前交渉の経験がある人は、82%に上った。【24】2010年、花嫁の処女率は5%にとどまり、18%にのぼる花嫁は、結婚前に10人以上の男性と経験があった。文学、映画、広告、テレビにはすべて、性的描写が氾濫するようになった。
b. フェミニズム(女権拡張運動)の促進と伝統的な家族の否定
フェミニズムの背後にある共産主義
フェミニズムは、家族を破壊するために邪霊が利用した道具の一つである。18世紀にヨーロッパで始まったこの運動は、教育、雇用、政治において女性も男性と同等の扱いを受けるべきだと主張した。19世紀中ごろ、フェミニズムの中心はヨーロッパからアメリカへ移った。
第一波フェミニズムが始まった頃、伝統的な社会体制がまだ強固であったため、それらは直接、伝統的な家族を批判することはしなかった。著名なフェミニスト(男女同権論者)は、18世紀イギリスのメアリ・ウルストンクラフト(Mary Wollstonecraft)、19世紀アメリカのマーガレット・フラー(Margaret Fuller)、19世紀イギリスのジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill)などが挙げられる。彼らは、一般的な女性は結婚したら家庭を優先し、その潜在能力を家庭内で発揮すべきだとしたが、一方で、特別な才能を有する女性たちは、社会の規制を受けずに、男性と肩を並べてその才能を伸ばすべきだと主張した。
1920年代、多くの国で婦人参政権が法的に認められると、第一波フェミニズムは徐々に消滅した。その後すぐに起こった世界恐慌と第二次世界大戦の余波を受け、フェミニズムは消滅した。
同時に、共産邪霊は伝統的な結婚と性的道徳を破壊する種を蒔いた。19世紀、初期の空想社会主義者たちが現代の過激なフェミニスト運動の道を開いた。フェミニストの始祖と言われるシャルル・フーリエ(François Marie Charles Fourier)は、結婚は女性を私有財産化すると主張した。ロバート・オウエン(Robert Owen)は、結婚を邪悪であるとみなし、軽蔑した。これら空想社会主義者らの思想は後のフェミニストたちによって受け継がれ、さらに進化した。例えば、19世紀のフランシズ・ライト(Frances Wright)はフーリエの思想を踏襲し、女性の性の解放を主張した。
イギリスのフェミニスト、アンナ・ウィーラー(Anna Wheeler)はオウエンの思想を継承し、「女性を奴隷化する」結婚を厳しく批判した。社会主義フェミニストたちは、19世紀のフェミニスト運動に大きな影響を与え、同時に、フランスでは「女性の声」(La Voix des Femmes)「フリー・ウーマン、女性の政治」(La Politique des Femmes)などの雑誌を次々と創刊した。これらの発行者はフーリエあるいはアンリ・ド・サン=シモン(Henri de Saint-Simon)の信奉者である。
第一波フェミニズムが最盛期を迎えた頃、共産邪霊は伝統的な家族や結婚を攻撃するため、よりさまざまな過激な思想を導入し、その後のフェミニスト運動に弾みをつけた。
1960年代後半にアメリカで始まった第二波フェミニズムは、北ヨーロッパと欧米諸国にも広まった。1960年代、アメリカ社会は公民権運動や反ベトナム運動など、過激な思想が渦巻く混乱期だった。この潮流に乗り、より過激なフェミニズムが台頭し、大衆の人気を得たのである。
第二波フェミニズムの基礎となったのは、1963年に出版されたベティ・フリーダン(Betty Friedan)の著書『女らしさの神話』(The Feminine Mystique)と、彼女が設立した全米女性連盟(NOW)である。彼女は郊外に住む中流階級の主婦の観点から、伝統的な家族における女性の役割を厳しく批判し、いわゆる「幸せで満ち足りた主婦」とは、父系社会が生み出した妄想にすぎないと指摘した。彼女は、中間層の郊外型家族は、アメリカ女性にとって「快適な強制収容所」であり、教育水準の高い現代女性は夫と子どもに奉仕するのではなく、家庭の外で自分の価値を見いだすべきだと主張した。【26】
数年後、より過激なフェミニストたちがNOWの会員になり、フリーダンの思想を継承した。彼女たちによれば、女性は古代から父系社会によって抑圧され、家庭が女性抑圧の根源である。それを解決するため、彼女たちは社会制度と伝統文化を完全に変換させることを主張し、すべての人間の活動―経済、教育、文化、家族―において、女性の平等の権利を主張した。
社会を抑圧する者とされる者に分類し、闘争、解放、平等を叫ぶのは、まさに共産主義の本質である。マルクス理論は経済的身分によって人々を分類し、新フェミニスト運動(ネオ・フェミニズム)は、人々を性別で分類する。
もっとも、『女らしさの神話』を執筆したベティ・フリーダン自身は、郊外に居住する、いわゆる「家事に飽き飽きした主婦」などではなかった。アメリカのスミス大学教授ダニエル・ホロウィッツ(Daniel Horowitz)は、『ベティー・フリーダン―女らしさの神話の舞台裏』の中で、フリーダンの経歴を詳細に紹介している。彼女は学生時代から1950年代ごろまで、過激な活動家だった。ある時は専門のジャーナリスト(正確には政治的宣伝要員)として、アメリカ共産党傘下の過激な労働組合のために働いていた。
元左翼のデイビット・ホロウィッツ(David Horowitz、上記のダニエル・ホロウィッツとは無関係)は、フリーダンの出版物を分析し、彼女の思考の変遷を分析した。【27】彼女はカリフォルニア大学バークレー校時代、共産青年同盟のメンバーだった。当時、彼女は二度もアメリカ共産党への入党希望を申請していた。フリーダンの自伝を執筆したジュディス・ヘネシー(Judith Hennesee)も、フリーダンはマルクス主義者であると述べている。【28】
アメリカの著者ケイト・ウェイガンド(Kate Weigand)は、『赤いフェミニズム』(Red Feminism)の中で、20世紀初頭から1960年代まで、アメリカのフェミニストたちが決しておとなしくしていたわけではないことを指摘している。この時期、多くの共産党系フェミニストたちはさまざまな出版物を執筆し、後にやってくる第二波フェミニスト運動への道を開いていた。その中には、スーザン・アンソニー(Susan Anthony)、エレノア・フレックス(Eleanor Flex)、ゲルダ・ラーナー(Gerda Lerner)、イブ・マリアム(Eve Merriam)などがいる。
1946年にはすでに、アンソニーはマルクスの分析方法論を用いて、白人が黒人を、男性が女性を抑圧していると論じていた。しかし、当時アメリカはマッカーシズム(反共産運動)の最盛期であったため、彼女も共産主義を公に主張することはできなかった。【29】
フランスのシモーヌ・ド・ボーヴォワール(Simone de Beauvoir)が『第二の性』(The Second Sex)を出版すると、第二波フェミニスト運動が爆発的に広がった。ボーヴォワールは元社会主義者である。彼女は共産主義の哲学者ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)やその他の著作家と共に、地下組織の自由社会党を設立した。ボーヴォワールは人気を博した1960年代、自分は純粋なフェミニストであり、社会主義は信じていないと宣言した。
ボーヴォワールの有名な言葉は、「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」である。彼女によれば、性(セックス)は生理学的特徴によって決定されるが、性別(ジェンダー)は、人間社会の影響により、自分が徐々に獲得していくアイデンティティー(自己統一性)に過ぎない。従順、愛情、母性といった気質は、女性を抑圧してきた父系社会の「神話」に過ぎず、女性はそれらの伝統を打ち破り、自分自身を解放しなければならないと主張した。
この手の考え方は、同性愛、両性愛(バイセクシャル)、性同一性障害(トランスジェンダー)などの有害な概念にも共通してみられる。ボーヴォワールのあと、さまざまなフェミニストが登場し、女性が男性から抑圧されているという世界観が広まった。女性抑圧の源はすべて父系社会、つまり伝統的な家族にあり、それらが女性の平等にとって邪魔な存在になったのである。【30】
ボーヴォワールによれば、女性にとって結婚は束縛であり、嫌悪すべき売春制度である。彼女は結婚を拒絶し、夫のサルトルとは互いの性的自由を認める契約結婚だった。同様に、サルトルも他の女性と肉体関係を持っていた。ボーヴォワールの結婚観は、現代の過激なフェミニストたちのそれと同じである。乱れた性的関係は、19世紀の空想社会主義者フーリエが提唱した「妻の共有化」と全く同じである。
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参考文献
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[11]Наталья Короткая,“Эрос революции: “Комсомолка, не будь мещанкой – помоги мужчине снять напряжение!” https://lady.tut.by/news/sex/319720.html?crnd=68249.
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